ガジマ師聖会(2012年10月東京・中野ZEROホール)

                                                             2012 10/20



  ジョセファット・ガジマ牧師の教会(タンザニアのダルエスサラーム)では、2010年には150人の死人のよみがえりが起きていましたが、2012年には400人を超えていて、非常に強力な主のご臨在が 上り調子で継続しています。 このメッセージは、聖霊様の流れの上り調子のただ中で、特に日本人クリスチャンに語られた 主からの重要なメッセージです。



  ● 聖会2:(10月10日PM13:30−17:00)


  § メッセージ:


  今日は、「受け取る」ことの4つのプロセスについて語ります。 すべてのことは、プロセスです。


    「翌日、彼らがベタニヤを出たとき、イエスは空腹を覚えられた。 ・・・・・・ 朝早く、通りがかりに見ると、いちじくの木が根まで枯れていた。ペテロは思い出して、イエスに言った。「先生。御覧なさい。 あなたの のろわれたいちじくの木が枯れました。」 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。 まことにあなたがたに告げます。 だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ。』と言って心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。 だから、あなたがたに言うのです。 祈って求めるものは 何でも、すでに受けたと信じなさい。 そうすれば、そのとおりになります。 ・・・・ 」」 (マルコ11:12−14、 20−24)



  1. 「何でも」求めよ:  求めるものは選ぶ必要はありません。 今、私の教会では人々が増えて、7万人になっています。国のスタジアムには6万人までしか入れません。そこで、朝・昼・夜の3回に分けて礼拝をしていますが、朝の集会に来た人たちは集会が終わっても帰ろうとしないで(終わったら次の人たちのために場所を空けるように言いますが、それでも)隠れています。そして昼の集会に出て、その人たちも残って、夜の集会にも出ています。 だから、ハイウェイを通り越した向こう側にも人がいっぱいいて、彼らには説教者が見えません。人々の間に車が通っています。ただし献金は回っています。
  日本がクリスチャンの国になるように、また、クリスチャンの総理大臣がなるように、求めようではありませんか。


  2. 「祈って」求める:  マタイ7章に、「求めよ。さらば、与えられん。」とあるように、求めなさい、捜しなさい、そうすれば、見出すのです。  神様は私たちの問題を知っておられる(これは事実ですが、)だから祈る必要はない、というのは大きな間違いです。 「健康、経済は、親からのもの。しかし、良き妻、良き夫は神からのもの。」 祈って求めましょう。

  私たちは、街の中に大きな土地が与えられるよう祈って、100エーカー(=約40万平米=40ヘクタール)の土地が与えられました。
  必要なときに与えられるだから祈らない、というのも間違いです。 「祈る」ということは謙遜の表れです。 「わたしの名によって求めるものは、何でも、それをしましょう。」(ヨハネ14:13)とあるように、まず、求めなさい


  3. 「信じる」:  「あなたの信仰のとおりになれ」 ・・・ 信仰とは、まだ、目に見えないもの、聞いていないものです。それらが、すでに そこにあると信じることによって、信仰のとおりに受け取るのです。
  「ただ、お言葉を与えてください」という、百人隊長の信仰(マタイ8:5−13)は、イエス様によって、イスラエルのどこにもない信仰と賞賛されました。そして、「あなたの信仰のとおりになれ」と言われました。
  アブラハムとサラに子供が与えられたのは信仰によります。 (祈る人によってではなく、)「信じる者」にとっては「すべての事が可能」なのです。どうぞ、神にある信仰 を持ってください
  また、神のみことばに対して服従してください。
  人は、「考えていること」が満ちて、「口の言葉」に出て来ます。「心に信じて、口で告白する」のです。 プロセスとして、まず ”考え”があって、それから、”口にし”、”行動”します。
  教会でのいやしですが、ある女性は、”ガジマ師に触れたらいやされる”と信じて、口で言いながら、人々の間を這って行き、触れていやされました。 旧約の士師たちは、この「信仰」によって国々を征服しました。


  4. 「すでに受け取った」:  これは”完了形”です。 ”未来形”ではありません。”未来形”では100歳になっても成就しません。
  受け取るものには、2つの答えがあります。 1つは、霊的なもの、 もう一つは、物理的なもの です。 何回も、何回も祈るとき、心に平安を感じます。 あとは、その現われを「待つ」だけです。 タンザニアの大統領は、わたしたちの教会から出ます。

  成就を受け取るのは、すぐに受け取る場合と、時間が経ってから受け取る場合があります。 マタイ21:19では、「ただちに枯れた」とあります。別の奇跡では、説明したプロセスを通してです。しかし、「ただちに」でも同じプロセスです。 「今日、神の言葉を聞く」場合でも、法則は同じです。
  マタイ20:28では、一人目の盲人はすぐにいやされましたが、もう一人は、イエス様が泥とつばを目に塗ってから シロアムの池で洗っていやされました。
  ある信徒の家で、赤ちゃんが亡くなり、それを見て子供が気絶しました。2人とも救急車で(病院ではなく、)教会に運ばれ、赤ちゃんに対し 30分間 ”戻って来い”と祈って、赤ちゃんは生き返って泣き出しました。気絶したほうも、その声を聞いて起き上がりました。




  § ミニストリー:

  (会場はほとんど満席(1200席)にもかかわらず、タンザニアに比べて) 人数が”少ない”ので、私が会場を回って、一人一人に、いやしと奇跡の油注ぎをいたします。 私の手を通して、イエス様が手を置かれます。




  * (筆者注):  示しでも、みことばによってでも、個人預言でも、神様に示されたことがなかなか成就しないことは、多くの人が経験されていると思います。

  もちろん、預言の成就はすべて条件付(信じて、従うか、)ですが、実際非常に強力な奇跡が起こっているガジマ牧師を通して、ここに重大な真理が明らかにされました。 主に語られたことは、(出エジプトの民のように、われわれが霊的に幼いときは、簡単に奇跡を起こしてくださいましたが、)少しでも学んで成長したクリスチャンは、イエス様との関係を強めるために、主は「祈り求める信仰」をチャレンジとして与えて下さっているということです。たとい天が充分開かれていなくても祝福をもぎ取る、という信仰です。
  世界の器でも、神様の奇跡が実際に起こっている器は、皆、祈りの器です。(たとえば、世界的な教師であるピーターワーグナー師(フラー神学校)は、ある人の無くなった足の再生のために、ビジョンをもって命令語の祈りを気が狂ったように祈って、奇跡が起こりました)

  また、いつも心が主に向いていること(= 「目の前に主を置く」、「まことにその人は、主の教え(預言)を喜びとし、昼も夜もその教え(預言)を口ずさむ」(詩篇1:2))が、アブラハムのように、「あらゆる面で祝福を受ける」(創世記24:1)ことの 唯一の条件になっています。

  主は、主とのコミュニケーションを深める(= 「徳を高める」(Tコリ14:3)ために、私たちが、語られたことに対しても幼子のように へりくだって、主に祈り求める、ということを望んでおられます。 預言は、(鋭く来ますが、) 祈り と 信仰(行動) ・・ これが信者の本来の姿 ・・ の方向性を出すものです。

  祈り求める事が、特に、日本のリバイバルのポイントです。


  


      § 東京福音リバイバル聖会:  ガジマ師聖会 DVD/CDの申し込み、聖会ビデオ

           ・・・・ * タンザニアのビデオ(下のほう)に、生き返った人たちによる 「よみ(ハデス)」の生々しい証言があります



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